一般社団法人 十日町青年会議所
第 68 代理事長 村山 亮太
理事長所信
一般社団法人十日町青年会議所
第 68 代理事長 村山 亮太
【スローガン】
Give and Give
【基本理念】
想いを馳せ、与え続ける。
【はじめに】
青年会議所とは何か。
青年会議所に所属するメンバーが必ず聞かれる質問です。私も十日町青年会議所(以下、JCI 十日町)に入会する前は青年会議所がどういう団体であるかよく理解しておりませんでした。2018 年に入会し丸 6 年が経ち様々な役職を経験させていただき、第 68 代理事長の職を拝命するにあたり、改めて冒頭の質問について考えてみました。
一言で答えるなら青年会議所は「意識変革団体」であると考えます。考え方の中心が「自分」中心から「他人」中心に変わるということです。私が入会する動機の一つに、自分の商売のお客さんが増えれば良い、人脈が広がれば良い、というものがありました。確かに売上も増え人脈も広がりましたが活動をしていくなかで次第にメンバーのため委員長のため理事長のためと広がりさらには、地域の子供たちのため地域の未来のためと入会当時と意識が変わったことを実感しました。青年会議所をボランティア団体と言う方もいらっしゃると思いますが、我々はゴミ拾い活動で終わらず、ゴミを捨てさせない社会をつくる団体です。つまり対症療法ではなく根本治療を運動という形で社会に示していくことが我々の使命であります。他人のために率先して行動できる人間が各家庭各企業各地域に増えることでより良い社会になると確信しています。今日に至るまで 67 年間もの長きにわたり、修練・奉仕・友情の JC 三信条のもと、世のため他人のために明るい豊かな社会を目指し運動・活動を継続して来られた先輩諸氏に対し深く敬意と感謝の意を表します。
長きにわたり紡いで来られた先輩諸氏の想いを引継ぎ、他人のために与え続け率先して行動できる人間を増やします。そしてそのような人材が集まっている JCI 十日町を世間にもっと認知していただき、明るい豊かな越後妻有を築き上げる希望を次世代につないでいきます。
【越後妻有の福祉の課題解決へ取り組む】
私は十日町市内の 2 つの社会福祉法人の監事に就いておりますが、各事業所に訪問する中で役員の方や従業員の方、さらには施設の利用者の方から様々な不安や要望を耳にします。私自身も身内が福祉施設にお世話になっており、福祉の課題に一石を投じることが私の役割だと感じました。
2022 年時点の 15 歳未満の割合は十日町市が 10.0%、津南町が 9.6%(県平均 10.9%)であり人口に占める 65 歳以上の割合を表す高齢化率は十日町市が 41.1%で県内 6 位、津南町が 43.5%で県内 4 位となっており県平均や近隣の市町村より少子化・高齢化が進んでいる傾向にあります。少子化が進行すると将来は労働人口が減少し生産性や経済成長の鈍化が予想され地域産業の衰退や市税などの収入が減少するおそれがあります。また、高齢化の進行により年金・医療・福祉等の社会保障負担が増大するなど、財政をさらに圧迫することが懸念されます。行政サービスを維持するためにも、少子高齢化への施策に JCI 十日町として運動を起こし、住民・行政の意識を変えて大きな流れを生み出すきっかけにしたいと考えております。また、介護育児などに心身ともに労力を奪われ、働きづらくなることは越後妻有にとって大きな損失であると考えます。誰もが働きやすい環境を整え、社会の課題を解決することで持続可能な地域を創る運動を展開します。
そのような中で 2023 年 7 月に越後妻有地域住民の健康を守り持続可能な地域づくりを進めるため「一般社団法人妻有地域メディカル&ケアネットワーク」が設立されました。同社や越後妻有地域の各社会福祉法人と連携、情報交換をしながら少子高齢化の課題解決を目指します。そして、そもそもの「課題」は何か。本当は何が「課題」なのか。越後妻有地域の各世帯、法人、様々な立場の方に調査を行い解決策を模索し、その結果を行政に提言することを目指します。
今は身近に福祉の問題が迫っていない世代も他人事と思わずに自分事として捉え、困っている人に想いを寄せることができる人間を増やします。そして誰もが相手の立場を理解し手を差し伸べ与え続けることができる社会、助けが必要な人々が生きやすい社会を開発し持続可能な地域を創造します。
【効率的な会議運営と情報発信】
青年会議所という名前が示す通り、我々は様々な局面で会議を行います。ただ、会議をす
ること自体が目的になっていないでしょうか。家庭、社業、地域活動と多忙な会員が多い中
で、会議をする理由を明確にし、クラウドサービス等を活用しながら効率的かつ効果的な会
議を運営します。
また、青年会議所に所属したことがあれば、その魅力は肌で感じることができますが、こ
れから入会する方や、地域の方にも我々の活動、運動を知っていただくためには、適時適切
な情報発信が必要不可欠です。現代では多種多様な団体が活動し発信しているインターネ
ット、SNS 上では情報が埋もれてしまいます。良い活動・運動をしていても伝わっていなけ
れば社会にインパクトを与えることはできません。地域の方々、OB の方々、これから入会
してくれる方々に向けて我々の事業、活動、運動を適時適切なタイミングで効果的な発信を
することで JCI 十日町を認知、共感していただきます。そうすることでより良い関係を築く
ことができ、さらに地域社会に大きなインパクトを与えることができます。
【青少年を育成する相撲】
私が JCI 十日町に入会し、わんぱく相撲に関わるようになって以降、毎年わんぱく力士たちの姿に胸を打たれます。大勢の人が見守る中、誰の手助けもなくたった独りで相手と対峙し、ぶつかり合い、勝ち負けに関わらず相手に感謝する。それを見守る家族も子供の姿に成長を感じる素晴らしい事業であります。わんぱく相撲を通じ、子供たちに「心・技・体」を鍛えることや礼節を重んじることの大切さを伝えます。「心・技・体」全てバランスよく整ったとき、最大限の力が発揮できるというスポーツの教訓がありますが、動じない心、相手に勝つ技術、押し負けない体力、どれか一つでも欠けると勝つことが難しいということを経験することで将来の成長に繋げます。
JCI 十日町はわんぱく相撲十日町場所を 1985 年より継続して開催してまいりました。残念ながら新型コロナウイルス感染症の影響で中止を余儀なくされた年もありましたが、2023 年は「越後妻有場所」に名称を変更し開催いたしました。2024 年度は 39 回目となるわんぱく相撲越後妻有場所を開催し子供たちに成長の機会を与えます。
【防災意識をより一層高める】
2004 年 10 月、新潟県中越地方を震源地とした最大震度 7 を記録した大地震が発生し、その後も 2011 年 3 月の長野県北部を震源とした地震の発生、さらには同年 7 月に発生した新潟・福島豪雨の水害、毎年のように大雪による災害救助条例が適用されております。災害と隣り合わせの越後妻有において自ら身を守るためには、防災意識の向上が不可欠であります。
新潟県中越地震の発生から 10 年の節目である 2014 年に JCI 十日町・社会福祉法人十日町市社会福祉協議会様・特定非営利活動法人セーフティーネットぼうさい様の 3 団体による「越後妻有防災ネットワーク協議会」(以下、協議会)が誕生し、長きにわたり越後妻有地域の小中学校の子供たちに防災意識を高める事業を展開してまいりました。2023 年には今までの当事業のノウハウを集積した越後妻有防災プログラムマニュアルの作成に着手し、協議会主体ではなく各学校でも単独で実施できるための第一歩を踏み出しました。新潟地震から 60 年、新潟県中越地震から 20 年となる 2024 年度も引き続き協議会の一員として地域住民の防災意識の向上に寄与できるような事業を展開してまいります。
【会員拡大の必要性】
全国的に青年会議所の会員数が減少するなか、JCI 十日町においても、会員数が激減しており、一時は 100 名を超えた会員数ですが本年度はその当時の約 4 分の 1 の人数でのスタートとなります。青年会議所は社会をより良くする団体であり持続可能な地域を創造し、存続させるためには必要な団体です。このまま会員数が減少していけば規模の大きな事業をすることが難しくなり社会に大きなインパクトを与えることが難しくなってしまいます。そしていずれは消滅しかねません。より良い越後妻有の発展のためには、一人でも多くの仲間に入会してもらうことが必要不可欠です。
本年度も年間を通じて会員拡大活動を展開いたします。JC を知らない若者に入会してもらうには、JCI 十日町がどんな団体か、入会することでどんなメリットがあるかをしっかりと伝えなければなりません。ライフワークバランスが叫ばれる現代ではコストパフォーマンス、タイムパフォーマンスが重要視され、かけたお金や時間に対してすぐに効果が表れないことは敬遠される傾向にあります。JC の活動・運動はすぐに効果が表れないことも多いですが、長期的な視点と広い視点でのメリットを伝えることが重要だと考えます。同志を増やし一緒に活動するなかで絆を深め、卒業後もつながり続ける関係を築き共に越後妻有により良い影響を与え続け、更なる発展に寄与します。
【結びに】
私の夢は医者になることでした。尊い命を助け、ありがとうと言われたい。そんな思いがあったのだと思います。いつしかその夢は諦めていましたが、高校の教室にあった職業の本を眺めていたら「街の企業のお医者さん、税理士」という文言が目に留まり、今の職業を目指すきっかけとなりました。一度は首都圏や市外で働きましたが、やはり生まれ故郷の企業の役に立ちたいとの想いから十日町市へ帰ってまいりました。JCI 十日町に入会し、考え方が自分中心から他人中心に変わったことでその想いがさらに強くなり、地域の企業が元気であればそこで働く社員、その家族、さらにはその地域も元気になると信じて活動しております。1957 年 5 月 15 日に県内 3 番目、全国でも 115 番目の早さで十日町青年会議所が誕生し数多くの先輩諸氏が越後妻有、県内各地、全国でご活躍されております。68 代目の重責を自覚し、JCI 十日町の名を汚さぬよう精一杯邁進いたします。
私は 34 歳で入会し今年で 40 歳になり間もなく卒業を迎えます。もっと早く入会していればよかったと改めて思います。「かけがえのない若さも、それを自覚していなければ豚に真珠、猫に小判であってなきに等しい。」本田技研工業の創業者本田宗一郎の言葉ですが、最長でも 20 歳から 40 歳までの短い間しか一緒に活動することができないことを自覚し、限りある時間の中で共に成長し、他者を想い与え続け明るい豊かな越後妻有を創造します。